アウグスティヌスの時間論とは?「時間とは何か、問われなければ知っている」

「時間とは何か。誰も私に問わなければ、私は知っている。しかし問う人に説明しようとすると、私は知らない」。1600年以上前に書かれたこの言葉に、思わずうなずく人は多いのではないでしょうか。毎日使っているのに説明できない「時間」に、正面から挑んだのがアウグスティヌスでした。
3行でわかる
- アウグスティヌスは『告白』第11巻で、時間とは何かを問い、「問われなければ知っているが、説明しようとすると分からない」と書いた。
- 過去はもう存在せず、未来はまだ存在せず、現在には長さがない。それでも私たちは時間を感じ、測ることができる。
- 時間は、心の中にある過去の記憶、現在への注意、未来への期待として存在するとし、これを「魂の広がり」と呼んだ。
01これは何か(人物・概念の正体)
アウグスティヌスの時間論とは、時間は心の外にあるものではなく、心の中の記憶・注意・期待として私たちに現れる、という考え方です。
アウグスティヌス(354〜430年)は、ヒッポの司教を務めた、古代キリスト教の思想家です[1]。
自らの半生と信仰をつづった『告白』は、396年から400年ごろに書かれました[1]。その第11巻で、時間とは何かという問いが詳しく論じられています。
02どんな時代・文脈で生まれたのか
時間を分析しようとすると、過去・現在・未来のどれもが「存在しない」ように見えてしまう、という難問が出発点だった。
過去はもう存在せず、未来はまだ存在しません。では現在はどうかといえば、現在には長さがありません[1]。
それなのに私たちは「長い時間」「短い時間」と言い、時間を測っています。存在しないはずのものを、どうやって測っているのでしょうか。アウグスティヌスはこの謎に取り組みました。
03中心の思想を、生活の言葉で
時間は、心の中で「過去の記憶」「現在への注意」「未来への期待」として存在する。これが「魂の広がり」である。
『告白』第11巻(396〜400年ごろ)[1]
アウグスティヌスは、時間は私たちにとって確かに現実だと考えた。それは、過去についての今の記憶、現在についての今の注意、未来についての今の期待という形で、時間が私たちに現れているからである。記憶・注意・期待に分かれつつ、それらがつながって一つになっている状態を、彼は「魂の広がり(分散)」と呼んだ。これが『告白』第11巻で時間の定義に最も近い表現とされる。
よくある誤解: アウグスティヌスは「時間は存在しない」と言ったのではない。時間が心の働きとして現実に経験されることを示した。
その手がかりとして、アウグスティヌスは詩を暗唱する経験を挙げています。暗唱が進むにつれて、期待されていた部分が記憶へと移っていきます[1]。
04今の生活・現代社会での意味
楽しい時間は短く、退屈な時間は長く感じる。時間を心の働きとして捉える見方は、こうした体験を考える手がかりになる。
時間の感じ方
同じ1時間でも長く感じたり短く感じたりするのは、時間が心の記憶・注意・期待と結びついているからだ、と考えることができる。
今に注意を向ける
過去への後悔や未来への不安にとらわれるとき、時間がすべて「今の心」の中にあるという見方は、注意の向け方を見直すきっかけになる。
05よくある質問
「時間とは何か、問われなければ知っている」とは誰の言葉?
アウグスティヌスの『告白』第11巻の言葉です。毎日使っているのに説明できない時間の不思議さを表しています。
アウグスティヌスの時間論とは簡単に言うと?
時間は、心の中の過去の記憶、現在への注意、未来への期待として存在する、という考え方です。
「魂の広がり」とは?
心が記憶・注意・期待に分かれつつ、つながって一つになっている状態のことです。アウグスティヌスはこれを時間の正体に近いものとしました。
出典
- Tornau, C. "Saint Augustine." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/augustine/
- "Augustine." Internet Encyclopedia of Philosophy. https://iep.utm.edu/augustine-overview/
- Augustine. The Confessions of St. Augustine (E. B. Pusey, Trans.). Project Gutenberg. https://www.gutenberg.org/ebooks/3296