キルケゴールの「実存の三段階」とは? 美的・倫理的・宗教的な生き方

楽しいことを追いかけて生きるか、社会的な責任を引き受けて生きるか。誰もが一度は迷うこの問いを、19世紀デンマークの思想家キルケゴールは「生き方の領域」として描き分けました。彼は今では「実存主義の父」と呼ばれています。
3行でわかる
- キルケゴールは、人の生き方を「美的」「倫理的」「宗教的」の三つの領域(段階)に分けて描いた。
- 『あれか、これか』では美的な生き方と倫理的な生き方が対比され、『おそれとおののき』では信仰の問題がアブラハムの物語から論じられた。
- 不安を「自由のめまい」、絶望を「自己が本当の自己になれていない状態」として分析した。
01これは何か(人物・概念の正体)
「実存の三段階」とは、人の生き方を、美的・倫理的・宗教的という三つの領域に分けて捉える、キルケゴールの考えです。
セーレン・キルケゴール(1813〜1855年)は、コペンハーゲン生まれの思想家です。「実存主義の父」と呼ばれることも多い人物です[1]。
キルケゴールは、多くの著作を、ヨハンネス・デ・シレンティオ、ヨハンネス・クリマクスといった架空の著者名(偽名)で書きました[1]。それぞれの著者が、異なる生き方の立場から語っています。
02どんな時代・文脈で生まれたのか
キルケゴールは、抽象的な体系よりも、一人ひとりがどう生きるかという「実存」の問題を中心に置いた。
キルケゴールが問題にしたのは、世界全体を説明する体系ではなく、具体的な一人の人間が、どう生き、どう選ぶかということでした。
そのため彼は、異なる生き方をする架空の人物たちに語らせ、読者自身にどの生き方を選ぶのかを問いかける形をとりました[1]。
03中心の思想を、生活の言葉で
美的段階は楽しみを、倫理的段階は責任を、宗教的段階は神の前に立つ信仰を軸にする。不安と絶望の分析がその背後にある。
『あれか、これか』『おそれとおののき』(1843年)[1]
『あれか、これか』は、「美的に」生きることがどういうことかを描き、それを倫理的な生き方を説く判事ヴィルヘルムの立場と対比させた。『おそれとおののき』は、神の命令で息子イサクを差し出そうとしたアブラハムの物語から信仰の本質を探り、「倫理的なものの目的論的停止」や「信仰の騎士」について論じた。
よくある誤解: 三つの段階は、誰もが順番に上がっていく成長の階段ではない。どの生き方を選ぶかを、本人に迫る描き方である。
『不安の概念』『死に至る病』[1]
キルケゴールは、不安を「自由のめまい」と表現した。また『死に至る病』では、絶望を、自己が本当の意味で自己になれていない状態として分析した。
よくある誤解: 「死に至る病」は肉体の病気のことではない。自分自身になれていない絶望のことを指している。
04今の生活・現代社会での意味
「本当にこれが自分の選んだ生き方か」と問う姿勢は、生き方に迷う現代人の自己理解の手がかりとして読まれている。
選択の重みに向き合う
進路や人生の選択で感じる不安を、「自由であるからこそ生まれるめまい」として捉え直す見方を与えてくれる。
自分自身になること
周囲に合わせるだけでなく、自分が本当の意味で自分になれているかを問う視点は、自己理解を深める手がかりになる。
05関連する哲学者・概念
キルケゴールの「実存」の問いは、のちの実存主義の思想家たちに受け継がれた。
06よくある質問
キルケゴールの「実存の三段階」とは?
人の生き方を、美的・倫理的・宗教的という三つの領域に分けて捉える考えです。『あれか、これか』などで描かれました。
「不安は自由のめまい」とはどういう意味?
人は自由であるからこそ、選ぶ前にめまいのような不安を感じる、という意味です。『不安の概念』での表現です。
『死に至る病』の「病」とは?
絶望のことです。自己が本当の意味で自己になれていない状態を、キルケゴールは絶望と呼びました。
出典
- Lippitt, J., & Evans, C. S. "Søren Kierkegaard." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/kierkegaard/
- "Kierkegaard, Søren." Internet Encyclopedia of Philosophy. https://iep.utm.edu/kierkega/
- Aho, K. "Existentialism." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/existentialism/