フッサールの現象学とは?「事象そのものへ」とエポケー(判断停止)

目の前のコーヒーカップは、本当にそこにあるのか。そう聞かれても、普段の私たちは疑いもしません。20世紀初めの哲学者フッサールは、この「疑いもしない」という態度そのものに注目しました。そして、それをいったん脇に置いて、経験がどのように私たちに現れているのかを丁寧に見つめる方法を考えたのです。
3行でわかる
- フッサールは現象学の創始者であり、「事象そのものへ立ち返れ」と唱えた。
- 世界があることを当然とする「自然的態度」をカッコに入れることを、エポケー(判断停止)と呼んだ。
- 意識は常に何かについての意識である、という「志向性」が、現象学の出発点になった。
01これは何か(人物・概念の正体)
現象学とは、物事が私たちの意識にどのように現れているのかを、思い込みを外して丁寧に記述しようとする哲学の方法です。
エトムント・フッサール(1859〜1938年)は、現象学の創始者とされる哲学者です[1]。
1900〜1901年の大著『論理学研究』で注目を集め、1913年の『イデーンI』で、エポケーなどの方法をはっきりと打ち出しました[1]。
02どんな時代・文脈で生まれたのか
フッサールは、私たちが普段とっている「世界があるのは当たり前」という態度を、哲学のために一度止めてみることを提案した。
日常の私たちは、世界がそこにあることを当然のこととして受け入れています。フッサールはこれを「自然的態度」と呼びました[1]。
現象学は、理論や先入観から出発するのではなく、「事象そのもの」に立ち返り、経験されるままの姿を捉えようとします[1]。
03中心の思想を、生活の言葉で
エポケーとは、世界の存在についての判断をいったん保留すること。そうして見えてくるのが、意識が何かへと向かう「志向性」の構造である。
『イデーンI』(1913年)[1]
フッサールは、世界の妥当性を「カッコに入れる」ことを求めた。これは、現実に対する独断的な態度をいったん止め、中立化することである。また、あらゆる意識体験は、何かについての、何かへと向かう体験である、という志向性を分析の中心に置いた。
よくある誤解: エポケーは、世界が存在しないと主張することではない。世界の存在についての判断を、いったん保留するだけである。
晩年の『ヨーロッパ諸学の危機』では、科学の理論に先立って私たちが生きている日常の世界を「生活世界」と呼び、その重要性を論じました[1]。
04今の生活・現代社会での意味
思い込みを外して、物事がどう見えているかをそのまま捉えようとする姿勢は、哲学の外でも、人の経験を理解しようとするさまざまな場面で参考にされている。
先入観を脇に置く
相手の話を聞くとき、自分の解釈をいったん保留して、相手にどう経験されているかを捉えようとする姿勢は、エポケーに近い。
体験の記述
同じ出来事でも人によって現れ方が違う。経験を丁寧に言葉にしようとする現象学の方法は、人の体験を理解する研究にも生かされている。
05関連する哲学者・概念
フッサールの助手を務めたハイデガーは、現象学を人間の生き方の分析へと発展させた。
06よくある質問
フッサールの現象学とは簡単に言うと?
物事が意識にどう現れているかを、思い込みを外して記述しようとする哲学の方法です。フッサールが創始しました。
エポケー(判断停止)とは?
世界があることを当然とする態度をいったんカッコに入れ、その判断を保留することです。世界の存在を否定するわけではありません。
志向性とは?
意識は常に何かについての意識であり、何かへと向かっている、という意識の構造のことです。現象学の分析の中心です。
出典
- Zahavi, D. "Edmund Husserl." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/husserl/
- "Husserl, Edmund." Internet Encyclopedia of Philosophy. https://iep.utm.edu/husserl/
- Smith, D. W. "Phenomenology." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/phenomenology/