孟子の性善説とは? 井戸に落ちそうな子どもと「四端」

「人は生まれつき善か、悪か」。誰もが一度は考えたことのある問いです。古代中国の思想家・孟子は、「人の本性は善である」と答えました。その根拠として彼が挙げたのは、壮大な理論ではなく、誰もが思い当たる、ある一瞬の心の動きでした。
3行でわかる
- 孟子は「人の本性は善である」(性善説)と説いた。
- 井戸に落ちそうな子どもを見れば、誰でも思わずハッとして気の毒に思う。それは見返りを求めた打算からではない、と孟子は論じた。
- 人には、思いやり・恥じる心・譲る心・善悪を見分ける心という四つの善の芽(四端)があり、育てることで徳になるとした。
01これは何か(人物・概念の正体)
性善説とは、人の本性はもともと善である、という孟子の考えです。ただし、生まれたままで完成しているのではなく、善の「芽」が備わっているという意味です。
孟子は紀元前4世紀の中国の思想家で、孔子の教えを受け継いだ儒家の一人です[1]。
孟子が最もよく知られているのは、「人の本性は善である」という主張によってです[1]。
02どんな時代・文脈で生まれたのか
孟子の性善説は、のちに荀子から「人の本性は悪である」と名指しで批判され、儒家の中で大きな論争になった。
同じ儒家の荀子は、「性悪」と題した文章の中で、孟子を名指しで批判しました[1]。
人の本性をどう見るかは、教育や政治のあり方にも関わる大きな問題でした。孟子は、人の中にある善の芽を信じ、それを育てることを重んじました。
03中心の思想を、生活の言葉で
井戸に落ちそうな子を見て思わず感じる憐れみの心は、善の芽の一つ。人には四つの芽(四端)があり、それぞれ徳へと育つ。
『孟子』の「井戸の子ども」と「四端」[1]
子どもが井戸に落ちそうになっているのを見れば、誰もがハッとして気の毒に思う。それは子どもの親に取り入りたいからでも、評判を得たいからでもない。孟子は、思いやりの心は仁、恥じて嫌う心は義、敬い譲る心は礼、善し悪しを見分ける心は智の芽だとした。
よくある誤解: 性善説は「人は放っておいても善い人になる」という意味ではない。芽は育てなければ、枯れてしまうと孟子は考えた。
孟子は「牛山」のたとえも残しています。木を切られ、芽を家畜に食べられ続けた山がはげ山になっても、それは山の本来の性質ではない。同じように、人の善の芽も、育てなければ失われていくというのです[1]。
04今の生活・現代社会での意味
人を「もともと悪い」と決めつけるのではなく、善い芽を育てる環境や関わり方を考える視点として、教育や子育てで参照されている。
育てる関わり方
子どもや部下の中にある良い芽を見つけて育てる、という発想は、孟子の性善説と重なる。
環境の大切さ
牛山のたとえは、善の芽があっても、環境によって失われうることを示している。人を取り巻く環境を整えることの大切さにつながる。
05関連する哲学者・概念
孟子が受け継いだ孔子の「仁」をあわせて読むと、儒家の考え方の流れがよく分かる。
06よくある質問
孟子の性善説とは簡単に言うと?
人の本性はもともと善であり、善の芽が備わっている、という考えです。芽は育てることで徳になるとしました。
「四端」とは?
思いやりの心、恥じて嫌う心、敬い譲る心、善し悪しを見分ける心の四つです。それぞれ仁・義・礼・智の徳の芽とされます。
性善説と性悪説の違いは?
孟子は人の本性を善とし、荀子は「性悪」と題した文章で孟子を名指しで批判しました。人の本性の見方が正反対です。
出典
- Van Norden, B. "Mencius." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/mencius/
- "Mencius (Mengzi)." Internet Encyclopedia of Philosophy. https://iep.utm.edu/mencius/
- Goldin, P. R. "Xunzi." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/xunzi/