道徳的運とは? 運で結果が変わっても、責任は変わるのか

二人の運転手が、同じように注意を払って運転していました。ところが一方の車の前にだけ、突然犬が飛び出してきて、ひいてしまった。二人の違いは運だけです。それでも私たちは、犬をひいた運転手のほうに、より重い責任を感じてしまいます。これは正しいことなのでしょうか。
3行でわかる
- 人は、自分でコントロールできることについてのみ道徳的に評価されるべきだ、という「コントロール原理」は直観的にもっともらしい。
- しかし実際には、私たちは結果や置かれた状況など、運に左右されることで人を評価している。この食い違いが「道徳的運」の問題。
- ネーゲルは、結果の運、状況の運、性格の運、原因の運という四つの種類を挙げた。
01これは何か(人物・概念の正体)
道徳的運とは、本人がコントロールできない要因(運)によって、その人への道徳的な評価が変わってしまうことです。
「道徳的運」という言葉は、哲学者バーナード・ウィリアムズが用い始めたもので、トマス・ネーゲルが同じ題名の論文で応答しました[1]。
私たちは普段、「自分ではどうしようもなかったことで責められるのはおかしい」と考えています。哲学ではこれを「コントロール原理」と呼びます[1]。
02どんな時代・文脈で生まれたのか
コントロール原理を認めると、私たちが日常的にしている多くの評価が説明できなくなる。それがこの問題の出発点だった。
コントロール原理とは、人が道徳的に評価されるのは、評価の対象が自分でコントロールできる要因に依存している範囲に限られる、という原理です[1]。
カントは、善い意志は、結果がどうであれ、それ自体で宝石のように輝くと述べました[1]。結果ではなく意志で人を評価するという考えは、コントロール原理と重なります。
03中心の思想を、生活の言葉で
ネーゲルは、運が評価に入り込む場面を四つに分けた。結果、状況、性格、そして原因の運である。
ネーゲル「道徳的運」(1979年)[1]
ネーゲルは、道徳的運を四つに分けた。行為の結果がどうなるかという結果の運、どんな状況に置かれるかという状況の運、どんな性格に生まれ育つかという性格の運、そして行為に至る原因の連鎖による原因の運である。状況の運の例として、1930年代のドイツでナチスに協力した人々も、1929年にアルゼンチンに移っていたら、模範的な人生を送っていたかもしれないと指摘される。
よくある誤解: 道徳的運の問題は「運が悪ければ仕方ない」という話ではない。運に左右される評価と、コントロール原理との間の食い違いをどう考えるかという問題である。
04今の生活・現代社会での意味
結果だけで人を責めたり褒めたりしていないか、自分や他人をどう評価するかを見直すきっかけになる。
結果で人を評価する前に
仕事の成否や事故の有無など、結果には運が大きく関わる。結果だけでなく、本人がどう判断し行動したかに目を向ける視点になる。
自分を責めすぎない
自分ではどうしようもなかった結果で、自分を責め続けていないか。コントロールできた部分とできなかった部分を分けて考える手がかりになる。
05関連する哲学者・概念
結果ではなく義務や意志を重んじたカントの倫理学や、ストア派の「自分次第のもの」とあわせて読むと理解が深まる。
06よくある質問
道徳的運とは簡単に言うと?
本人がコントロールできない運によって、その人への道徳的な評価が変わってしまうことです。ウィリアムズとネーゲルが問題として提起しました。
コントロール原理とは?
人が道徳的に評価されるのは、自分でコントロールできる要因に依存している範囲に限られる、という原理です。
道徳的運にはどんな種類がある?
ネーゲルは、結果の運、状況の運、性格の運、原因の運の四つを挙げました。
出典
- Nelkin, D. K. "Moral Luck." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/moral-luck/
- "Moral Luck." Internet Encyclopedia of Philosophy. https://iep.utm.edu/moralluc/
- "Luck." Internet Encyclopedia of Philosophy. https://iep.utm.edu/luck/
